【感想】
そもそも文化人類学の分野の本として
文化人類学という学問の存在に気がつきました。
野生の思考=構造主義を理解するために必要な考え方。
・近代ヨーロッパ文明の批判をしている。
・「ブリコラージュ」
・「具体の科学」
トーテミズム
一方は自然の中に、他方は人間のなかに位置する二つの
考えの間の相同性
人間が動植物から共同体や集団を作る考えを学ぶ
ブリコラージュ
=持ち合わせた材料を用いてものを作る器用な仕事
未開人の思考の特徴として、
目の前にあり合わせの記号(自然界にある動植物など)を用いることだと言います。
具体の科学
科学思考のように抽象概念ではなく、感覚からきり離されない動植物を使った
考え。
他にも、科学的思考と野生的思考は二つ体系が分かれている。
サルトルの考えを批判している。
西欧的な意味での「主体」や「歴史」は
近代ヨーロッパの偏見があること。
未開人がいる=まだ
構造主義=人間社会の構造には、見えない構造が存在していて、
それが目に見える人間の社会的・文化的思考を作ってい。
例えば、神話とか
今まで勉強していた勉強は建築学ですが、
もっと多くの学問を知る必要があると思いました。
芸術学もだし、歴史も経営も生物も心理学も、文学も哲学も物理学も
建築って改めて、あらゆる学問と結びつくなぁと感じました。
・野生の思考の構造は、
内と外が一体になって作用すること。=内と外には延長がないということ。
建築でいうと、本来は外も中も一体であったはず。
例として、ボロブドゥール遺跡のストゥーパに外が中のようになった構造があ。
これは、内側の仏像が花が咲くように中から外に飛び出している。
林学や造園の専門家が参考にしたのが古墳だったらしい。
土地のほとんどが木々に覆われていること、そのなかの小道を歩いていくこと
もともと古墳は、スレートで覆われていたけど、盗掘とかで奪われたりして
今の姿になったそう。
建設には日本全国のきが集められたそう。
森林は古来より信仰の対象となっていたが、社殿がなかったりは池の山が重要な意味を持つことが多い。
明治神宮の内苑と外苑には「隠」と「顕」な関係がある。
これらがセットとなることで、初めて神社として機能する。
外苑の絵画館や競技場、神宮球場など人間のエネルギーを感じる場所。
内苑は、森林に隠された力が外苑に現れでる。
この過程が、神だという。
この構造を「アラハレ」「ミアレ」という。
地面から突き出している柱がある。
この柱と巫女による儀式があり、生まれた力が千木と鰹木を通して開かれる。
隠された力を顕現させるアンテナのような役割があるそう。
また、この話から、古墳スタジアムが生まれたのも残ったのもそういう背景があるのかもしれない。
たねさんは、Archaeological Reseach(考古学的リサーチ)という設計手法をとっている。
場所から連想される膨大なイメージを壁面に貼り、分類/調査を繰り返すことで思考を整理していくこの方法=アーキオロジー
「場所の記憶」についての探求と、それを建築というかたちあるものへと展開させる手法
「場所」とは固有であり、そこには古代から現代にいたるまでの記憶 ─ 個人的なのものであれ社会的なものであれ ─ が存在すること、それらを丹念に発掘/分類/調査/再構築することで、記憶を未来につなげる役割を果たそうとするのが田根さんの建築であるそう。
この過程から、古墳が生まれた気がする。
一方で、フィンランドの建築家マルコは、
アーキパンクチャーという手法もとっていて、
都市の鍼治療を提唱している。
その考えはどうやって、実際のプロジェクトに落とし込んでいるのか?
リサーチ方法などももっと知りたい。
【アウトプット】
・自分も考古学的
ANTやバレーセクションなどリサーチ手法として、用いている。
水などその土地の全部を網羅している。
・建築では、野生の思考が住まい手には使われている気がする。
例えば、家具の配置とか、普段いる場所などがどこなのかここ胃の良い居場所を考える時に役立つ考え方な気がする。
・隅っこが落ち着くから端っこにいること。広々と全体を見渡せるから落ち着いたり、居心地がいいと思う感情など。(アールとハウスの食堂などもそうかもしれない)
・空間や人間がどう暮らし方や過ごし方をするのかは、科学的な思考ではなく
野生の思考など元々の暮らし方を知る必要があることに繋がる。
・建築にも内と外の考え方ってあるけど、そもそもがその考え方ではないのかもしれない。
参考記事
https://monoskop.org/images/9/91/Levi-Strauss_Claude_The_Savage_Mind.pdf